昆虫脳の構造と機能

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昆虫は節足動物門の六脚類に属し、甲殻類から分岐したと考えられる。陸上の環境に適応し、翅の獲得などにより生息環境を広げ、多様な種が分化した。現在約100万種が記載されており、確認されている全生物種の半数、全動物種の2/3以上を占める。動物は外界の情報を受容し、時に情報を記憶し、状況を判断し、筋肉などの効果器を制御する情報処理装置として脳神経系を発達させてきた。神経系の進化は腔腸動物の散在神経系から、前口動物では左右相称動物の扁形動物において神経節の形成が起こり、冠輪動物における軟体動物頭足類の複雑な脳や脱皮動物における節足動物昆虫類の微小脳1が出現した。一方後口動物では、尾索類の神経管の出現から脊椎動物における管状神経系の形成が起こり、哺乳類の発達した巨大脳に行きつく(「神経系の起源と進化」)。本稿では昆虫の脳神経系の構造と機能について概説する2,3。脳の領域名は文献2,3,4に従った。

昆虫の中枢神経系の構成

節足動物は体節構造をもち、各体節に1対の付属肢と神経節をもつ基本構造から、分類群により多様なパターンで体節および神経節の融合が起こっている。左右の神経節原基が融合した各神経節は1対の縦連合で結ばれた形態を示し、はしご状神経系と呼ばれる。昆虫の体は10数個の体節が連なった構造をとり、頭部、胸部、腹部の3つの部分に区別される。頭部の神経節を脳と呼び、3個の神経節が融合した脳神経節(食道上神経節)と3個の神経節が融合した食道下神経節(顎神経節)よりなる。胸部は3個の体節より構成され(前胸、中胸、後胸)、それぞれの体節から1対の肢が出る。また、翅をもつ昆虫の場合、中胸、後胸からはそれぞれ1対の前翅と後翅が伸びる(ハエ目では後翅が平均棍となる)。昆虫の分類群によっても神経節の融合の仕方は異なり、進化的に後期に出現したものほど融合が進んでいる傾向がある。例えば、ハエでは胸部と腹部の神経節が融合し、一つの塊を形成している。

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ショウジョウバエの神経系

脊椎動物神経系との違い

少し前までは、節足動物のはしご状神経系と神経管から発生する脊椎動物の神経系とは起源が異なると考えらえていた。しかし、前後軸や背腹軸の形成に共通の遺伝子が関与することが明らかになり、現在は共通の祖先から進化してきたものと考えられている。脊椎動物の神経系は体の背側、昆虫の神経系は腹側を走行していることから、背腹軸が逆転したものと捉えることができる。脊椎動物では多くのニューロンが核を含む細胞体から樹状突起と軸索を伸ばす双極性や多極性であるのに対し、昆虫のニューロンの多くは単極性の細胞である。細胞体は神経節の表層(皮質)にあり、内側のニューロパイルに神経線維を伸ばして分岐し、そこで他のニューロンとシナプスを形成する。そのため、昆虫脳では細胞体が皮質に存在し、その内側にシナプス形成の場である密集ニューロパイルや非密集ニューロパイルが形成され脳を構成する。ただし、昆虫脳の皮質は哺乳類の大脳皮質とは異なり、情報処理の場ではなく細胞体が外部と栄養や老廃物などのやりとりをする代謝の場であると考えられ、情報処理の主体はその内側のニューロパイル構造である。

昆虫脳の基本構造

ヒトの脳が約1000億個のニューロンで構成されるのに対し、昆虫の脳は約10万-100万個のニューロンで構成される。脊椎動物の脳と同様に領域ごとに機能分担がみられ、感覚中枢、高次連合中枢、前運動中枢などで構成される。感覚中枢としては、視覚の入力を受ける視葉、嗅覚の入力を受ける触角葉などがあり、高次連合中枢としては、記憶学習の中枢であるキノコ体、空間認識・歩行制御などの中枢である中心複合体などがあり、前運動中枢としては胸腹部神経節への下行性司令情報が出力される側副葉や後傾斜などの領域がある。形態学的には、前大脳、中大脳、後大脳(合わせて脳神経節)と食道下神経節にわかれる。前大脳は脳の両側に張りだした視葉と中央脳にある特徴的構造である1対のキノコ体や脳の中心にある中心複合体、中大脳は触角葉やその後方に存在する触角機械運動中枢、後大脳は前大脳や中大脳と食道下神経節をつなぐ部分を含む。食道下神経節には、口器からの感覚入力や吻や顎の筋肉を動かす運動神経の出力などがある。また、ハエ目、チョウ目、ハチ目などでは脳神経節と食道下神経節が融合し境界が不明瞭になっている。昆虫の種によって、脳領域の各構造に大小の差や変形などの形態学的な多様性がみられるが、基本構造は共通している。また、最近キイロショウジョウバエを基本として昆虫脳の領域とその名称が定義され、脳領域を昆虫間で比較するための統一的な命名法が提唱された4。ここでは昆虫脳を構成する主要ニューロパイルである視葉、触角葉、キノコ体、中心複合体の構造と機能を中心に紹介する。

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ショウジョウバエの脳の再構成像

視葉 (optic lobe)

昆虫の眼には単眼と複眼があり、視覚情報の多くは複眼により受容される。頭部の左右にある複眼は多数の個眼で構成される。個眼の数と視覚の空間解像度の間には対応関係があり、視覚の発達したものほど多くの個眼をもつ傾向がある。例えばアゲハチョウでは約12000個、ミツバチでは約5000個、ショウジョウバエでは約800個である。一つの個眼には8-9個の視細胞が存在し、いくつかの分光感度の異なるタイプに分けられる。初期視覚中枢である視葉は視葉板(lamina)、視髄(medulla)、視小葉複合体(lobula complex)から構成される。ハエ目やチョウ目では、視小葉複合体が視小葉(lobula)と視小葉板(lobula plate)に分かれる。これらの領域は個眼と対応した方向に、視葉板ではカートリッジ、視髄や視小葉ではカラムと呼ばれる構造を形成し、個眼配置の情報が維持されたまま処理される経路として網膜配置対応性(retinotopy)がみられる。また、カートリッジやカラムと直交する接線方向には層構造を形成し、特定の層と特定の視覚情報処理との関係が示唆されている。視葉の神経回路は脊椎動物の網膜から視覚皮質にかけての神経回路との類似性が指摘されており、形、色、動きなどの視覚特徴の抽出が並列階層的に行われていると予想されている。動き検知に関する経路はよく調べられており、視小葉板においてオプティックフローの方向を検知するニューロンおよびそこに至るまでの神経回路が同定されている。ショウジョウバエでは視小葉からの情報は中央脳において前方視結節や視覚糸球体と呼ばれる特徴的なニューロパイル構造に投射する。

触角葉 (antennal lobe)

匂いの情報は主に触角で受容され、触角上に毛状に突出する感覚子の中に嗅覚受容神経が樹状突起を伸ばし嗅覚受容体を発現する。嗅覚受容神経の軸索は嗅覚系一次中枢である触角葉へと投射する。触角葉は糸球体と呼ばれる球状のニューロパイルから構成され、同じ嗅覚受容体を発現した嗅覚受容神経の軸索は同じ糸球体へと収斂し、そこで二次ニューロンである触角葉投射神経や触角葉局所介在神経とシナプスを形成する。糸球体の数は嗅覚受容体タイプの数と対応し、匂いの情報は各嗅覚受容体との結合および嗅覚受容神経の活動を反映した糸球体マップへと変換される。触角には温度や湿度変化を検知する感覚受容細胞も存在し、触角葉後方のやや構造が不明瞭になった糸球体へ軸索を投射する。糸球体数の数は40-400個程度で昆虫種によって異なり、ハエ目やチョウ目などでは40-70個程度であり、ハチ目で150-400個程度と多い。また、バッタでは例外的に無数の微小糸球体が形成される。トンボや水生昆虫など嗅覚の利用が減少した昆虫では、触角葉が著しく縮小している。ガやゴキブリなど雌が雄を誘引する性フェロモンを放出する種では、雄の触角葉にはフェロモン受容細胞からの情報を処理する大糸球体があり、顕著な性的二形を示す。触角葉で処理された情報は、触角葉投射神経によりキノコ体傘部や側角と呼ばれる領域へ運ばれる。糸球体を機能的単位とした嗅覚系一次中枢の構成は脊椎動物の嗅球と共通であり、神経回路構造の類似性がみられる。

キノコ体 (mushroom body)

前大脳に左右一対形成されるキノコの形をした特徴的な構造であり、傘部、柄部、葉部から構成される。学習と記憶に重要な領域であることが明らかになっている。内在性のケニオン細胞で構成され、傘部で主に触角葉投射神経から嗅覚情報の入力を受ける。ハチなど種によっては、視覚情報も視葉から傘部の領域に直接入力する。ケニオン細胞の神経線維が平行に束となり柄部を形成し、垂直方向と内側方向に二股にわかれ出力部である葉部を形成する。ショウジョウバエでは葉部はさらに細かいコンパートメント構造にわかれ、各コンパートメントにおいてキノコ体出力神経が、通過するケニオン細胞の軸索と直交するように広く樹状突起を伸ばして接続し、軸索を近傍の領域に投射する。各コンパートメントには対応するドーパミン作動性ニューロンが入力し、ケニオン細胞とキノコ体出力神経のシナプスを修飾する。ドーパミンによる修飾が学習の基盤となっていることが示され、コンパートメントの違いが報酬や罰などの価値情報や記憶の質の違いと対応している機構が明らかになりつつある。ケニオン細胞の数はキノコ体への入力や出力神経の数と比較して桁違いに多く、ゴキブリでは約20万個、ミツバチでは約17万個、ショウジョウバエでは約2000個の細胞からなる。触角葉出力神経→ケニオン細胞→キノコ体出力神経にみられる発散-収斂の回路構成が、脊椎動物の小脳にみられる苔状線維→顆粒細胞→プルキンエ細胞の回路構成と類似している。

中心複合体 (central complex)

脳の中央に存在し、左右1対の構造が中央で融合した構造とみられる不対のニューロパイルで、前大脳橋(protocerebral bridge)、中心体上部(upper division of the central body)、中心体下部(lower division of the central body)、小結節(noduli)より構成される。ハエでは中心体上部は扇状体(fan-shaped body)、中心体下部は楕円体(ellipsoid body)と呼ばれる。中心体上部(扇状体)と中心体下部(楕円体)を合わせて中心体(central body)と呼ぶ。前大脳橋は左右8個ずつの計16個(ショウジョウバエでは18個)のコンパートメントにわかれている。中心体は、縦方向のカラム(スライス)構造、横方向のレイヤー構造により構成される。前大脳橋のカラムと対応する8つのカラムまたはセグメント構造が中心体上部(扇状体)と中心体下部(楕円体)にもみられる。中心複合体への入出力や回路の全貌はまだわかっていないが、一部わかってきたことは、視覚の情報が中心体上部(扇状体)の特定の層に入力する経路や前方視結節から球部を介して中心体下部(楕円体)に入力する経路がある。前大脳橋と中心体上部(扇状体)、前大脳橋と中心体下部(楕円体)および小結節や周辺の小領域とを結ぶいくつかのタイプのカラムニューロンが存在する。それらのカラムニューロンは、前大脳橋のコンパートメント間を結ぶニューロンらと相互にネットワークを形成している。また、前大脳橋から中心体上部(扇状体)を介し側副葉へ出力するカラムタイプのニューロンがある。定位運動、偏光コンパス、視覚特徴の学習、睡眠覚醒、歩行の制御や空間認識、空間記憶の形成など多様な機能との関連が報告されている。サバクトビバッタ、渡りチョウ、フンコロガシなどでは、太陽の位置を示す天空の偏光パターンの向きが、カラム構造の異なるコンパートメントで符号化される機構が示されている。ショウジョウバエでは、体軸の向きが楕円体においてコンパスの針のように、セグメント構造の活性化部位の位置で表現されていることが明らかになった。これらのことから中心複合体はナビゲーションにおける方向検知に重要な役割を担っていると示唆される。中心複合体からの情報は側副葉などに出力しており、これらの領域で左右の方向転換を指示する下行性神経と接続していると考えられる。

その他の脳領域

その他の感覚系として、聴覚、味覚、体性感覚などの入力領域も明らかになっている。それらの感覚情報も刺激の質ごとにさらに細かい領域にマップされるが、嗅覚の糸球体のような明瞭なニューロパイル構造は示さない。ハエやハチでは触角の基部の振動で重力や聴覚刺激を受容するが、その情報は触角機械感覚中枢へと投射する。食道下神経節には味覚の情報が投射し、味の質が異なる領域にマップされる。体性感覚の情報は胸腹部神経節を介して、一部は直接に脳の前大脳側葉や食道下神経節などの領域に投射する。また、前大脳のキノコ体や中心複合体の周辺に存在する非密集ニューロパイルの領域は、高次脳機能に重要な役割を担っていると考えられるが、それらの機能や接続関係についてはほとんどが未知である。脳から胸部神経節への情報は下行性介在神経により送られる。下行性介在神経の数は200-500対ほどであり、感覚系と比べて種間での違いは少ない。下行性神経は主に脳の腹側部の側副葉、食道下神経節、後方前大脳側部や後傾斜という領域から胸部神経節へと出力する。

哺乳類の脳との比較

昆虫脳と哺乳類の脳を比較すると、外見や脳の構成に大きな違いはみられるが、同じような機能を担っている領域や神経回路構造の共通した領域が存在する。例えば、視覚と嗅覚の初期中枢である触角葉と視葉はそれぞれ嗅球と網膜の神経構成と類似性がみられ、機能的にも同じような役割を担っている可能性がある。これらは、収斂進化の結果であると考えられてきた。しかし、その他の感覚系である味覚、聴覚、体性感覚の情報処理回路にも共通性がみられ、感覚系においては共通の祖先においてすでに原型が成立していた相同な回路である可能性も示唆されている。一方、高次脳領域であるキノコ体は、記憶学習への関与において海馬との機能的類似性が示唆されているが、記憶の種類や回路構造は異なる。キノコ体を構成する神経回路モチーフはむしろ小脳との類似性が高い。また、中心複合体については、大脳基底核との間に一部回路構造の類似性がみとめられ、行動の制御などにおいて機能的な類似性も示唆されているが、その他の機能については必ずしも一致しない。高次脳領域においては、領域の構成そのものに違いがある可能性は高く、異なる起源の領域が同じような機能を担っている収斂進化の可能性が高い。これらが相同な領域に相当するかは慎重な検証が必要であり、今後の研究課題である。

昆虫種間での脳領域の違い

脳を構成する基本構造はほぼすべての昆虫種で共通しているが、種ごとに脳領域の構造、サイズ、複雑さなどに違いがみられる。例えば、飛行能力に優れ、大きな複眼を持つトンボやアブの仲間では、それに対応して視葉の領域の拡大がみられ、暗い巣の中で主に生活するアリの仲間では、視葉の縮小と、多様な嗅覚情報の利用と対応して触角葉糸球体の数の増大がみられる。また、ハチ目ではキノコ体の顕著な拡大がみられ、当初は社会性との関連が示唆されたが、詳細な解析により視覚学習によるナビゲーション行動の獲得との関連が示唆されている。このような例が多くの脳領域、種間の比較で集まりつつある5。これらの脳領域の違いは、種間での生活様式の違いや適応的行動の獲得が反映されたものとみられ、脳領域の機能や脳の適応的構成に至る道筋を解くための手がかりを提供する。

参考文献

  1. 水波誠:昆虫―驚異の微小脳. (中公新書, 2006).
  2. 下澤楯 & 針山孝 昆虫ミメティックス : 昆虫の設計に学ぶ. Vol. 3 (エヌ・ティー・エス, 2008). 岩崎雅行 & 泰山浩司 第1編序論 第3章コントローラ 第1節「昆虫の中枢神経系」.
  3. 下澤楯 & 針山孝 昆虫ミメティックス : 昆虫の設計に学ぶ. Vol. 3 (エヌ・ティー・エス, 2008). 伊藤啓 第2編基礎論 第1章デザイン 第6節「脳神経回路の基本構造」
  4. Ito, K. et al. A systematic nomenclature for the insect brain. Neuron 81, 755-765, (2014).
  5. 並木重宏, 関洋一 & 神崎亮平 虫にみる神経構築のレイアウト 生物科学 69, 43-52 (2017).

関洋一(東京薬科大学生命科学部)