動物の超高速運動
動物の中で最も「はやい」のは誰の運動だろうか?チーターの足?野球投手の腕の振り?魚の逃避行動?そうではなく、シャコ、テッポウエビ、アギトアリなど、見逃されがちで比較的小さな生き物たちが、パワー増幅という物理工学における課題にひそかに挑戦し「はやい」運動を実現しているのである。ノミやバッタの跳躍、ヤゴやカエルの捕食などもパワー増幅を用いているが、ここではとりわけ「超」高速運動を実現している生物の中で、一番よく調べられているシャコの捕食行動を例に、超高速運動のしくみを紹介する。
パワー増幅とは?
「はやい」というのは、どういうことか?「はやさ」には、速度、加速度、継続時間など、さまざまな意味がある。ここではとくに、運動継続時間が短いという意味での「はやさ」を考えてみる。この「はやさ」が物理学でのパワー増幅の概念を理解する鍵となるからだ。
パワー増幅を考えるには、弓矢の例えがいいだろう。矢を弓にひっかけ、腕の筋肉で弓をしならせる。そして矢を離せば、しなった弓は一瞬で元に戻る。その一瞬の復元を利用することで、たんに腕で投げるよりも遠くへ矢を飛ばすことができる。この過程を、しならせる部分と、元に戻る部分のふたつに分けよう。前半は、弓に対して働きかけて弾性エネルギーを蓄積する。後半ではエネルギーが開放される。前半に比べて後半で時間が短縮しているのがポイントである。パワーとは単位時間あたりの仕事のことである。すると、弓に与える仕事と弓が返す仕事がほぼ同じと考えれば、前後半で時間が短縮しているのでパワーが増幅しているというからくりだ。そのおかげで、筋肉の収縮速度を上げて運動をはやくするのではなく、少々遅い収縮でも大きな力が出せる筋肉を使い、時間というコストを払って、超高速運動が実現する。逆説的だが、事実、超高速運動に特化したシャコパンチにおける「弓をひく」筋肉(側伸展筋)は、大きな力が出せる遅筋である。大きな力だけでは超高速運動は実現しない。鍵となるのは、パワー増幅を実現する骨格構造である。
シャコの超高速運動
外骨格ばね
弓矢の例えに対応させながら、シャコパンチを支える骨格構造の詳細を見ていこう。
シャコはマウスパーツが発達している。エビやカニの十脚類と異なり「口脚類」と呼ばれるゆえんだ。五対ある口脚と呼ばれる付属肢のうち、大きく発達した二対目がほぼパンチ専用に特化しており、捕脚と呼ばれる(図A)。捕脚の各部分は弓矢の例えで行くと、捕脚の前節にある鞍と腹側棒は弓、指節は矢、指節の基部にあるこぶ状にふくらんだ指節踵(パンチの拳)は矢尻に対応する。
とくに大事なのは、弓としての鞍と腹側棒である(図B)。鞍は背側にあって、文字通り鞍のような構造をしている。腹側棒は前節の腹側で前後軸に沿って内側にくびれた構造である。腹側棒はあまりしならず支えとなり、鞍がばねとしてしなる。主として、この鞍と腹側棒が外骨格ばねとしてパワー増幅の一翼を担う。
内骨格とめ具
もうひとつは、弓を引き、動きを止めておく指である。その指に相当するのが、捕脚前節の中にある止め具構造である(図B)。クチクラ内突起apodemeとは脊椎動物でいう腱であるが、一部肥厚・硬化している。ここが外骨格内側の隆起した部分とかみあうことで指の役割を果たす。
以上の骨格構造によって、パワー増幅が起きる。シャコパンチの場合、はやさは2ミリ秒程度、これは我々人間の「瞬き」の100分の1のはやさだ。このように動きに要する時間が短かくなれば、必然的に移動量に対する時間が短かくなる。つまりパンチ速度も増大する。速度増大は、運動量(速度x質量)増大、すなわちパンチ威力が増大することにつながる。だが、パンチ威力の秘密はそれだけではない。
セカンド・インパクト
超ハイスピードカメラで世界に先駆けてシャコパンチを撮影したデューク大学のシーラ・パテック博士は、奇妙な現象に気がついた。指節踵と打撃対象の貝殻のあいだに気泡ができ、その気泡がはじけて光を放ったのである。
この泡の正体は、キャビテーションという真空の泡だ。水が超高速で動かされたとき、圧力差が生じて水が気化する、つまり沸騰する。この泡が割れると、光、熱を放つ。船舶設計の世界では、プロペラ上で生じたキャビテーション泡がプロペラを破壊することが知られている。さらに、パテック博士がシャコに圧力センサーを殴らせてみると、インパクトは一度でおわらず、指節踵が当ったあと離れていくときに二度目があることを発見した。しばしばこの二度目のインパクトは一度目を超える力を発揮した。モンハナシャコのピーク値で約390ニュートンを記録している。このセカンド・インパクトが殻割りに実効的であるのは明白である。
シャコは手を抜く?
パンチのインパクトに、シャコの拳である指節踵は耐えられるのだろうか?たしかに、指節踵はインパクト耐性を持つ特殊な構造をしている。ゴルフボールのように中はそれほど硬くはなく、繊維がらせん状に組み上がり、インパクトを分散させるようだ。しかし、野外で採集されるシャコ、飼育を継続したシャコの捕脚にはダメージが蓄積しているのがよく観察される。4~6ヶ月に一度程度の脱皮で修繕されるものの、シャコパンチの大きな威力は危険を伴う。
何らかの方法でこのダメージによるリスクを回避しなければ、指節踵はすぐにダメージでぼろぼろになり、ひどいときには餓死しまうだろう。どのようにリスク回避を実現するかはまだ明らかになっていない。だが、同一個体からのパンチ速度を繰り返し測定して、運動神経系の活動を記録してみると、パンチ速度が神経系によってコントールされていることが判明した。パンチ速度が調節できれば、ダメージコストを減らせる可能性が高い。今後、手を抜くしくみが明らかになることが期待される。