「ペプチド分子:その構造と機能の多様性」の版間の差分
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細胞間情報伝達の手段として、ペプチド分子はすでに細菌で用いられている。例えば、外部環境の変化に応じてペプチド分子がフェロモンとして作用し、最終的には形態変化(胞子形成)を現出する。生物体が多細胞体になるにつれて、細胞同士のコミュニケーションの必要性が増加する。ペプチド分子は‘簡単に’合成されることから、初めの液性因子はペプチド分子であったであろうと想像する。カイメンは、最も進化的に古い多細胞動物である。カイメンを用いてペプチド分子の構造と機能を解析することにより、単細胞生物から多細胞生物に進化したときに獲得したもの、つまり、細胞の分業化、複数の細胞が集まって様々に機能するための細胞間コミュニケーションなど、のしくみの起源を知るヒントが得られるかもしれない。カイメンのペプチド分子の解析が待たれる。 | 細胞間情報伝達の手段として、ペプチド分子はすでに細菌で用いられている。例えば、外部環境の変化に応じてペプチド分子がフェロモンとして作用し、最終的には形態変化(胞子形成)を現出する。生物体が多細胞体になるにつれて、細胞同士のコミュニケーションの必要性が増加する。ペプチド分子は‘簡単に’合成されることから、初めの液性因子はペプチド分子であったであろうと想像する。カイメンは、最も進化的に古い多細胞動物である。カイメンを用いてペプチド分子の構造と機能を解析することにより、単細胞生物から多細胞生物に進化したときに獲得したもの、つまり、細胞の分業化、複数の細胞が集まって様々に機能するための細胞間コミュニケーションなど、のしくみの起源を知るヒントが得られるかもしれない。カイメンのペプチド分子の解析が待たれる。 | ||
*ペプチド分子の構造はアミノ酸の1文字表記で表す。A:アラニン, C:システイン, D:アスパラギン酸, E:グルタミン酸, F:フェニルアラニン, G:グリシン, H:ヒスチジン, I:イソロイシン, K:リジン, L:ロイシン, M:メチオニン, N:アスパラギン, P:プロリン, Q:グルタミン, R:アルギニン, S:セリン, T:トレオニン, V:バリン, W:トリプトファン, Y:チロシン | *ペプチド分子の構造はアミノ酸の1文字表記で表す。A:アラニン, C:システイン, D:アスパラギン酸, E:グルタミン酸, F:フェニルアラニン, G:グリシン, H:ヒスチジン, I:イソロイシン, K:リジン, L:ロイシン, M:メチオニン, N:アスパラギン, P:プロリン, Q:グルタミン, R:アルギニン, S:セリン, T:トレオニン, V:バリン, W:トリプトファン, Y:チロシン |
2010年11月25日 (木) 04:29時点における版
ここでいうペプチドはアミノ酸約50残基以下の小分子で、そのうち神経細胞がつくるものを神経ペプチドと呼ぶ。神経ペプチドとしてはホルモンや神経伝達物質が知られており、多くの動物から多種の神経ペプチドが同定されている。最近になって神経ペプチドの機能は必ずしも単一ではないという例が知られてきた。神経ペプチドは、生物の生体維持あるいは発生過程で時間と場所を変えて働いていると理解したほうがよいと思われる。神経ペプチド以外にも上皮由来のペプチド(上皮ペプチド)が、細胞分化、形態形成などのダイナミックな発生過程の制御に重要な分子であることが、淡水産の刺胞動物であるヒドラ (Hydra) から明らかにされてきた。ここでは、これまでの研究成果を踏まえて、ペプチド分子がどのような構造を持ち、どのような働きをするのかについて解説したい。
神経ペプチド
神経系における基本的な機能としては、細胞レベルで見ると、電気伝達(神経線維での活動電位の発生とその伝道)と化学伝達(シナプス部位での化学伝達物質とその受容体による情報伝達)がある。神経ペプチドは、化学伝達における情報伝達物質として働く。構造的に神経細胞の集中化が見られず、網目状の散在神経系を有するヒドラにも化学伝達機構が存在し、多種・多様な働きを持つ。
動物界に普遍的な神経ペプチド
4個のアミノ酸からなる *FMRFamide ペプチドは1977年にPrice と Greenbergにより、軟体動物の二枚貝から単離された、筋収縮及び弛緩に関わる神経ペプチドである。その後、多くの動物でC末側に RFamie 構造を持つペプチド分子が多数単離されている。単純な神経系を有するヒドラからも、デンマークのグループ(1996年)が抗 RFamide 抗体を用いたラジオイムノアッセイ(放射線免疫検定)法で4種類の Hydra-RFamide I-IV を単離・同定している。抗 RFamide 抗体を用いてヒドラの免疫組織染色を行うと、部域特異的(触手、口丘および足部)に局在する神経細胞の集団が可視化される。上記のデンマークのグループ(1998年)は、Hydra-RFamide I-IV の遺伝子を単離・構造決定したところ、3種の遺伝子が存在することを見出した。これら遺伝子は上記の4種のペプチド分子以外にも3種の RFamide ペプチドをコードしていると推測された。1つの転写産物中にいくつかの神経ペプチドがコードされているような遺伝子をプレプロタンパク遺伝子という。プレプロタンパク質は後に、特異的なペプチダーゼにより分解(プロセス)され、成熟したペプチド分子が生じる。ペプチド分子はC末端の配列によってはアミド化 (-amide) される場合がある。3種の遺伝子の発現領域を in situ ハイブリダイゼーション法(組織内で RNA または DNA のハイブリッドを形成させ遺伝子の発現をみる方法)を用いて観察すると、重複はあるものの、異なった神経細胞でも発現しているという興味ある結果が報告されている。ヒドラにおける RFamide ペプチドの機能としては、4種のうちの1種、Hydra-RFamide III (KPHLRGRFamide)、が足柄領域の神経細胞に局在して一定のポンピング運動を制御していると思われる。
ドイツの Leits ら(1994年)は海産ヒドラであるカイウミヒドラ (Hydractinia echinata) のプラヌラ幼生からポリプへの変態を促進するペプチド分子、Metamorphosin A (MMA)を、イソギンチャクから単離・同定した。日本のグループが中心となりドイツとアメリカのグループとの共同研究により推進された“ヒドラペプチドプロジェクト”により、Leits らとは独立に、ヒドラから7種の MMA 関連ペプチドが同定された。このペプチドグループは、LWamide 族ペプチドと名付けられた。LWamide 族ペプチドの構造的特徴としては、C末端がアミド化された共通構造 GLWamide を持つ。ヒドラの LWamide 族ペプチドの遺伝子には7種のペプチド分子が1~3コピーずつコードされており、この意味では、RFamide の遺伝子とは異なる。ヒドラの7種の LWamide 族ペプチドも MMA と同様、カイウミヒドラのプラヌラ幼生に対して変態促進活性を持つ。実際、C末側の GLWamide ペプチドだけで変態促進活性を示す。プラヌラ幼生のポリプへの変態における LWamide 族ペプチドの働きは、外部からの情報を受けたプラヌラ幼生の感覚神経が分泌し、変態への反応を促す内在性の情報分子であると推測される。一方、ヒドラにおける LWamide 族ペプチドの働きとしては、親個体から出芽体を分離させる。出芽体の足部の外胚葉には環状筋があり、このペプチド分子はこの筋肉に直接に働いて収縮させ、出芽体をくびれ切ると考えられる。7種のペプチド分子のうちの1種 (EPLPIGLWamide) が、ヒドラの胴体部の内胚葉上皮筋を特異的に収縮させる働きを持つ。ヒドラの筋線維は外胚葉では頭―足部軸に沿って縦走し、内胚葉ではそれと直角に環状に走行している。従って、内胚葉の筋肉が収縮し、外胚葉の筋肉が弛緩することにより、ヒドラが長く伸びる様子が見られる。ヒドラの LWamide 族ペプチドは、ポリプ(成体)では筋収縮に関わる神経伝達物質あるいは神経修飾物質といえる。抗 GLWamide 抗体を用いた免疫組織染色法で様々な動物(扁形、線形、毛顎、軟体、環形、節足、脊椎動物)の神経細胞が抗体と反応する。このことは必ずしも LWamide 族ペプチドの同族体が存在することを意味しないが、このペプチドグループは RFamide ペプチドのグループと同様、動物界に広く存在する、従って重要な神経ペプチドであると考えられる。
種特異的な神経ペプチド
ヒドラペプチドプロジェクトにより、これまでにどの動物門からも単離・同定されていない新規のペプチド分子が次々と発見されている。Hym-176 (APFIFPGPKVamide) は、ヒドラの胴体部(特に足柄部)の外胚葉上皮筋を特異的かつ可逆的に収縮させ、胴体を縮める効果を持つ。上記の LWamide 族ペプチドでの結果と考え合わせると、ヒドラの筋収縮は体の部域ごとに特異的に働く神経ペプチドによって制御されているようである。このペプチドの活性の発現には、C末端のアミド化は必須で、C末側から8残基の構造が活性に必要な最小構造である。Hym-176 の遺伝子には、Hym-176 ペプチドは1コピーだけ存在する。この遺伝子の発現は、足柄部の神経節細胞に強い発現が見られる。このことは、ペプチドの局在と足柄部の筋肉の強い収縮と相関がある。
ヒドラの神経細胞には寿命があり、常に幹細胞から新たに分化した細胞と置き換わっている。従って、ヒドラには神経細胞の集団を一定に保つ機構(ホメオスタシス)が存在する。ヒドラペプチドプロジェクトにより、この機構に関わるペプチド分子が同定されている。幹細胞から神経分化を負に制御する PW 族ペプチド4種と正に制御する神経ペプチド Hym-355 (FPQSFLPRGamide) である。これらのペプチド分子の拮抗的作用により、ヒドラの神経集団は一定に保持されていると考えられる。PW ペプチドは上皮由来の分子であるので後に述べる。Hym-355 の遺伝子から推測されたプレプロタンパク質には、未成熟なHym-355 ペプチドが1コピーだけ存在する。In situ ハイブリダイゼーション法による Hym-355 の遺伝子の発現は、触手、頭部及び足盤の神経細胞で顕著に強い。このことは、Hym-355 は神経細胞から放出され、オートクライン的に働く神経ペプチドであることがわかる。
上皮ペプチド
細胞分化、再生、組織形成といったダイナミックな発生過程の制御にペプチド分子が関与するという報告例は少ない。幹細胞を介した強い再生能力を有するヒドラから、そのプロセスに関与するペプチド分子の実体が明らかにされつつある。
細胞分化に関与する上皮ペプチド
ヒドラの神経細胞は、成熟個体においても常に幹細胞より分化・再生され続けていて、同時に、体の先端より脱落している。上記の Hym-355 は、神経細胞を促進するペプチド分子であるが、その効果とは反対に、神経分化を抑制するペプチドファミリー、PWペプチドがペプチドプロジェクトにより同定されている。PW ペプチドは、4種のメンバーから成り、C末側に PW の共通構造を持つ。ヒドラ EST データベースとペプチドプロジェクトを組み合わせた解析により、PW ペプチドをコードする遺伝子が同定され、8種のペプチド分子が1~3コピーずつコードされていることが明らかとなった。In situ ハイブリダイゼーション法及び抗 PW 抗体を用いた免疫染色の結果から、PW ペプチドは外胚葉上皮細胞に存在する上皮ペプチドである。Hym-355 と PW ペプチドの活性は、同時に与えると両者の活性が相殺される。ヒドラの幹細胞及び神経細胞は、外胚葉上皮細胞の間隙に存在することから、PW ペプチドは外胚葉上皮細胞から放出され、パラクライン的に働き、神経分化を抑制することが考えられる。ヒドラ生体内には神経細胞の数を感知するセンサーがあり、神経細胞と外胚葉上皮細胞との細胞間相互作用により、神経細胞の数を一定に保つ機構が成り立っていると考えられる。
形態形成に関与する上皮ペプチド
200年以上前にヒドラの再生現象が見出されて以来、ヒドラは再生のモデル動物として長く研究材料として用いられてきた。ヒドラの頭部と足部を切断すると、残った胴体部の失われた頭部の方から新たな頭部か、失われた足部の方からは新たな足部が再生する。この現象は極性といわれ、極性を決めているものがすなわちヒドラの形態形成のキー物質となる。ヒドラペプチドプロジェクトにより、足部形成に関わるキー物質候補となるペプチド分子が2種同定されている。1つは Hym-346 (AGEDVSHELEEKEKALANHS)、もう1つは Hym323 (KWVQGKPTGEVKQIKF) である。Hym-346 遺伝子は足部と頭部の内胚葉上皮で発現し、Hym-323 遺伝子は頭部と足盤を除いたほぼ全域の上皮で発現する。これらのペプチド分子が最もキー物質らしいところは、外からヒドラに加えると位置情報の変化をもたらすことにある。ペプチドで処理したヒドラの組織を移植実験で調べると、両ペプチド分子とも足部形成促進能を上昇させる。一方、頭部形成、特に触手形成に関わるペプチド分子として Hym-301 (KPPRRCYLNGYCSPamide) が同定されている。Hym-301 遺伝子は出芽体ができ始めるとすぐに外胚葉上皮で発現を始め、出芽体の伸長とともに将来の頭部領域のみで発現するが、予定触手域では発現がみられない。遺伝子の発現を抑えるRNAi で Hym-301 遺伝子の発現を阻害すると、部分的ではあるが触手形成が抑制され、ペプチドで処理すると触手の数が増加する。ヒドラの頭部形成能を上昇させるリチウム (2 mM) で処理したヒドラでは、頭部に限られていた Hym-301 遺伝子の発現が体の全域の広がることから、Hym-301 は位置情報の下流にあり、主として触手形成に関わるペプチド分子であると考えられる。
まとめと今後の課題
単純な体制と強い再生能力を有し、かつ動物界で最も単純な神経系の散在神経系を持つヒドラでも、多種・多様なペプチド分子が存在する。このことは、とりもなおさず、ヒドラのペプチド分子の研究はまだまだ黎明期にある。しかも、これはヒドラに限らず他の動物にもあてはまると考えられる。ヒドラペプチドプロジェクトを通じて、さらに多くの重要なペプチド分子をヒドラのみならず高等動物からも同定されることが期待できる。事実、LWamide 族ペプチドについては、高い確率で高等動物にも類似ペプチドの存在が示唆されている。
細胞間情報伝達の手段として、ペプチド分子はすでに細菌で用いられている。例えば、外部環境の変化に応じてペプチド分子がフェロモンとして作用し、最終的には形態変化(胞子形成)を現出する。生物体が多細胞体になるにつれて、細胞同士のコミュニケーションの必要性が増加する。ペプチド分子は‘簡単に’合成されることから、初めの液性因子はペプチド分子であったであろうと想像する。カイメンは、最も進化的に古い多細胞動物である。カイメンを用いてペプチド分子の構造と機能を解析することにより、単細胞生物から多細胞生物に進化したときに獲得したもの、つまり、細胞の分業化、複数の細胞が集まって様々に機能するための細胞間コミュニケーションなど、のしくみの起源を知るヒントが得られるかもしれない。カイメンのペプチド分子の解析が待たれる。
*ペプチド分子の構造はアミノ酸の1文字表記で表す。A:アラニン, C:システイン, D:アスパラギン酸, E:グルタミン酸, F:フェニルアラニン, G:グリシン, H:ヒスチジン, I:イソロイシン, K:リジン, L:ロイシン, M:メチオニン, N:アスパラギン, P:プロリン, Q:グルタミン, R:アルギニン, S:セリン, T:トレオニン, V:バリン, W:トリプトファン, Y:チロシン