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動物は、個体あるいは自己をふくむ社会集団の生存に有利になるように情報交換を行い、音を媒体とする情報交換もその1つである。昆虫は、進化の過程でその体の一部を音(または振動)発生器官として分化させ、同時それを受信する感覚器を発達させてきた。
動物は、個体あるいは自己をふくむ社会集団の生存に有利になるように情報交換を行い、音を媒体とする情報交換もその1つである。昆虫は、進化の過程でその体の一部を音(または振動)発生器官として分化させ、同時それを受信する感覚器を発達させてきた。
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==参考図書==
==参考図書==
 「動物の生き残り術:行動とそのしくみ」 日本比較生理学会編、共立出版、2009年
 「動物の生き残り術:行動とそのしくみ」 日本比較生理学会編、共立出版、2009年
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[[藍浩之]]

2017年4月17日 (月) 09:44時点における最新版


動物は、個体あるいは自己をふくむ社会集団の生存に有利になるように情報交換を行い、音を媒体とする情報交換もその1つである。昆虫は、進化の過程でその体の一部を音(または振動)発生器官として分化させ、同時それを受信する感覚器を発達させてきた。


なぜ通信に音を使うのか?

 ヒトでは、音素を組み合わせて意味のある単語を作り、さらに単語を一定の規則(文法)に従って構文化することにより複雑な情報伝達を可能にした。音(振動を含む)は、複雑な情報を近接場から遠隔地にわたり短時間で伝達できることから、高度な通信に適している。ヒトでは、巨大な脳を発達させたことと相まって高度な言語能力とその認知能力を獲得し、音声による複雑な通信が可能になった。一方、無脊椎動物を含むヒト以外の動物でも、求愛、闘争、警報、採餌、密度調節などのために音を媒体とする通信を行うものが多い。たとえば、社会性昆虫のミツバチは尻振りダンスを介した通信を行うが、これは振動を用いた記号的コミュニケーションの一種であり、高度な通信の一つと考えられている。


昆虫の聴覚コミュニケーション

 聴覚を利用したコミュニケーションは、上述のように脊椎動物だけでなく無脊椎動物にも見られ、なかでも昆虫では音による様々なコミュニケーションがよく発達している。たとえば、コオロギの雄が出す誘引歌は、種特異的な周期で翅の開閉を繰り返して出す摩擦音(シラブル)で、同種の雌は他種の誘引歌と識別して同種の雄に誘引される。セミ類の雄は、種によっては80 dBに達する音を出して雌を呼び寄せている。キリギリスCyphoderris monstrosa Haglidae)では、105 dBの音を出して遠隔の同種個体とコミュニケーションし、この音圧は自動車の警笛の音圧レベルに匹敵する。また、アマゾンの森に生息するキリギリスの一種 (Arachnoscelis sp.) は129 kHzの超音波を出して、他種の用いる音との周波数重複を避けている。一方、原始的なキリギリスBuccacris membracionides)の聴覚器官は12.8 dBという極めて小さな音に検出閾をもち、その求愛歌の検出範囲は半径2 kmに及ぶ。アワノメイガ (Ostrinia furnacalis) の雄は、垂直に立てた翅を細かく振動させて超音波域の非常に微弱な音を出す。この音は雄の極近くにいる雌だけに聞こえ、音が微弱なために天敵からの身を守る上で役立っている。

 近接場の音(空気振動)を利用したコミュニケーションもある。 (Aedes aegypti) では、雌の出す380 Hzの翅音に対して雄は高い感受性を持ち、この音によって雌は雄を誘引する。その際に、雄は雌の翅音の周波数の微妙な違いでその雌が交尾可能な成熟個体か未成熟個体かを識別している。また、このの雄は、雌の翅音以外の周波数帯の高強度の音によってクリーニング・体ゆすり行動・飛翔・凍りつき(フリージング)等の行動も起こす。ミツバチでは、尻振りダンス時の羽ばたき音によって仲間に蜜源の場所を知らせるだけでなく、シマリング(防衛行動)やクイーンパイピング(処女王による鳴き)、揺すり行動(巣内の個体の活性化)など様々な振動を用いたコミュニケーションも行う。ハエの雄の出す翅音は、コオロギなどの求愛歌と同様に種特異的な時間的構造を持つ。キイロショウジョウバエDrosophila melanogaster)の雄の求愛歌は正弦歌(sine song) とパルス歌(pulse song)の2つの要素からなる。正弦歌は雌の性的興奮を高め、パルス歌は種特異的で種間の性的隔離を促すとともに、同種の雌の性的興奮を高める。雄のパルス歌の構成要素のうち、パルス周期が同種雄の識別に重要な要素となっている。このように雌のハエは雄の求愛歌の2つの要素の意味を時間的なパターンで識別している。またショウジョウバエ属の種によってはパルス音の周波数も種の認識に重要である。


聴覚通信のしくみ

 ここでは昆虫の聴覚通信のしくみを、送信と受信に分けて紹介する。

送信機構

 昆虫の発音は、特定の筋を収縮させて起こす体表クチクラの摩擦による場合が多い。たとえば、コオロギキリギリスの雄では両翅を擦り合わせて発音している。これらの昆虫の雄では、前翅の裏側の一部がヤスリ板になっており、それを反対側の翅の縁の摩擦片で引っ掻くことによって摩擦音を出す。前翅を擦り合わせる角度を変えて音質を変えたり、擦り合わせる時間的パターンを変えたりして、誘引歌、求愛歌、闘争歌などの異なる意味をもった歌をつくっている。バッタ類の雄では前翅を後腿節に擦り合わせて摩擦音を出す。セミ類の雄のように腹部の発振膜を振動させて音を出すものもいる。こうして生じた音を共鳴器で共鳴させて大きな音に増幅している。この音は疎密波であるためその音圧変化が遠方まで伝わる。

受信機構

 コオロギの聴覚器官は前肢の脛節にある鼓膜器官である。音によって薄いクチクラ膜からなる鼓膜が振動し、この振動が鼓膜に付着している聴受容細胞を興奮させる。左右それぞれの鼓膜器官には数十個の聴受容細胞がある。ナンヨウクロコオロギ (Teleogryllus oceanicus) では、聴受容細胞が音周波数応答特性に基づいて3つのグループに分類されている。一つ目は、種内コミュニケーションの主要な周波数 (4.5 kHz) である低周波数の音に応答し、聴覚受容細胞の75 %を占める。二つ目は天敵であるコウモリが出す超音波 (30~40 kHz) に応答し、三つ目は上記2つのグループが応答する周波数帯域の中間の帯域の音に応答する。

 一方、脳にはシラブル頻度を区別する複数のフィルターニューロンがあり、これらが種固有の歌を識別に関与している。コオロギの歌の時間パターン区別の神経回路について、上記のフィルター説のほかに、遅延線仮説や鋳型仮説の妥当性も検討されたが、現在までのところフィルター説が最も有力である。

 ジョンストン器官は、飛翔昆虫の種特異的な翅音を検出するように特殊化した機械感覚器で、梗節(触角基部から2節目)に存在する。これは鞭節第1節(触角第3節目)に加わるひずみを検出する弦音器官を起源とする器官である。ジョンストン器官は、空気の振動(音)を直接検出するわけではなく、触角鞭節が空気振動と共振して生じた鞭節の振動を検出している。共振によって鞭節の振動が増幅されているために梗節と鞭節基部との間接部分でのひずみが大きくなる。ジョンストン器官を構成する有桿感覚子の先端は鞭節基部に埋め込まれているために、ジョンストン器官はこのひずみを検出できるのである。の受容細胞では触角先端の0.7 nmの変位で電位変化が起こり、ミツバチの受容細胞では20 nmの変位で電位変化が起こるという報告がある。また、この器官を構成する数百個の有桿感覚子の先端が鞭節基部に同心円状に均等に分布しているため、触角のどの側面からの音も検出できる。飛翔昆虫においてジョンストン器官の最も重要な機能は同種の翅音の検出であるため、触角の共振周波数が同種の羽ばたき周波数とマッチするようになっている場合が多い。ミツバチの場合、触角の共振周波数は265~350 Hzであり、これは尻振りダンスの際にでる翅音の周波数とほぼ一致している。キイロショウジョウバエの触角の最適共振周波数はおよそ200~300 Hzであり、求愛歌の周波数とほぼ一致する。ショウジョウバエは自ら触角を200~300 Hzで能動的に振動させることにより、このような周波数マッチングを生み出しているのである。

 近年のショウジョウバエの分子生物学的研究によって、ジョンストン器官の刺激受容の初期過程に関わる分子の多くが哺乳類の蝸牛有毛細胞の場合と共通していることが明らかになり、また聴覚器としての振動制御機構や脳内の情報処理様式が哺乳類の場合と似ていることも示唆されている。そのため昆虫は聴覚研究の格好のモデルとみなされるようになってきている。


参考図書

 「動物の生き残り術:行動とそのしくみ」 日本比較生理学会編、共立出版、2009年


藍浩之